山上の変容 1
朝位 フミ子
「イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。」(マルコ9:2~3)
高い山の上で3人の弟子たちは、イエス・キリストの姿が変わり光り輝いているのを見て、「これが神と一緒にいるときに経験することなんだ」と感じました。本当に、今自分たちと一緒におられる神様の姿を見ることができたわけです。だから、わざわざここでペトロが口をはさんでイエスに言ったのです。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。」(5節)ペトロは、この高い山の上に、この場所に、この先もずっといたいと思ったのです。ここに小屋を建てて、ずっとこの場所に住みたい。この場所から離れたくない。神様の臨在に触れることができて、神様と共にいることはこんなに嬉しいことなんだ、こんなに素晴らしいことなんだ、これ以上の喜びは他にないと、心の底から思ったのでした。
ペトロが実感を込めて言うような、神様の臨在に触れる場所、それは私たちにとってはこの桜ヶ丘教会です。桜ヶ丘教会の礼拝の中に神様がいます。神様の臨在に触れる場所がここにあるのです。私たちがここにいることは、本当に幸せなことです。このことは決して間違っていないのです。
私たちが今捧げている礼拝で、弟子たちのように、今ここで生きて働いておられる神様の臨在に触れるとき、そこにシャロームがあるのです。心の安息、平安、平和があるのです。そこに、感謝と喜びの満たしが確かにあるのです。私たちが、神の栄光が表されるこの礼拝の場所で、生きて働いておられる神の臨在に本当に触れたら、心が喜びで満たされ、心の中が温かくなる経験をしないはずはないわけです。